3.キジの子供たち

チョビ、ふくちゃん、はなちゃん

 ミケがいなくなってしばらくしてから、キジのお腹が膨れだした。また妊娠である。 ネコの妊娠期間というのは約2ヶ月だから、年に2回くらいは出産可能なのであるが、それにしてもウチのあたりではキジ以外の成ネコを見ない。キジがボスなんだろうけど、それにしてもどこのオスが相手なのか気になるものであった。ネコの場合“選択権”はメスにあるので、キジが選んでいたのだろうなあ・・・・
 もうそろそろかな、と思っていたところ、ある日ウチに来たキジのお腹はぺちゃんこになっていた。どうやら、今回はよそで生んだようである。前回の子育てのことがあるので、大体の場所はわかっていたが、キジの“ネコ格”を尊重して特に追及はしないで普通につきあっていた。
 が、キジは極めて普通なのである。子供生まれたら乳やったり面倒見たり、目離せないだろうと思うのだが、もう出産後何週間かになるのに、ウチにきて家に上がってのんびりしている。「オイオイ、育ネコ放棄か?(-_-#)」と思いながら、キジのするにまかせていたある夜、外で小ネコの泣き声がした。「もしやっ!」と思って戸を開けたところ、塀の上に小ネコが2匹、チョコンと座って、こっち見て鳴いていた。
 キジは、というと、一応返事している。しかし、迎えにいくでもなく、来るなら来い、といった感じである。2匹の小ネコは、キジを追いかけて来たのであろうが、さすがにはじめてみる人に近寄ることができず、塀の上で鳴いているだけである。ちょっと可哀想になったので、キジを「行ってやれ」と押しだした。2匹のネコは、キジのところに寄り添ってきた。やはり、キジの子供なのであった。


アメショーもどきのチョビ

チンチラもどきのふくちゃん

Going my wayなはなちゃん

 無事育っていたのだ、とホッとした。2匹は少ないかな、とも思ったが、結構小ネコが育つには車などが多くて危険な場所でもあったので、塀に乗れるくらい育つのは少ないかも、と考えた。この時の2匹は、グレーのキジネコ(見かけはアメリカンショートヘヤーなのだが、残念ながら模様が純然たるキジ)とチンチラっぽい長毛種(これもよく見るとキジ柄)のだった。早速、名前をつけた。アメショーもどきが、チョビ、チンチラもどきが、ふくちゃん、である。なにせ、このころ「動物のお医者さん」にはまっていたのである。チョビは、マンガの主人公(といっていいと思う)のシベリアンハスキーであり、ふくちゃんは出てくる猫の名前である(命名が安易なのはあい変わらず)。

 翌日から、チョビとふくちゃんはウチの庭に来るようになった。なにせ、もうキジのミルクだけでは足りないくらい大きくなっている、エサが食べたいのである。あらためて明るいところで、この2匹を見ると、実にカワイイ。チョビはキジなのだが、シルバーフォックスのような色で実に高貴な感じだし、顔が実に整っているし、ふくちゃんは毛がふわふわしていて、とってもゴージャスな感じなのだ。ただ、この2匹、キジがいるので安心はしているものの、私に対しては気を許してはいないようだった。「エサくれる人」という認識はあるようで、逃げることはしないのだが、すり寄ってくるようなことは決してしない。キジが家に上がっていると、一緒に上がってはくるのだが、戸を閉めようとすると必死に出ていこうとする。閉じこめられるとおもっているようである(-_-;)。 キジは、出たいときは戸の前で鳴いて開けることを要求するのだが、やはりキモの座り方がちがうのであろうか・・
 しばらくすると、もう一匹エサを食べにくるようになった。どうも、一緒に生まれたキジの子らしい。またまた、ミケ、である。今度は短毛種で、典型的なミケ猫である。命名、はなちゃん。出典は同じ、である (^_^;)。  はなちゃんも、エサ食べるだけで、あまり気許してくれなかったのだが、どうもチョビとふくちゃんとはチョット性格が異なるようであった。2匹がエサ食べているときに、横で見ていることが多いし、移動も1匹のことが多い。ゴーイングマイウェイな猫のようであり、だからウチにくるのも遅くなったような気がした。

 あとからわかった話であるが、実はコイツら、隣の家でもエサもらっていたそうである。隣は室内で猫かっている猫好きなのであるが、外猫も可愛がっていて、キジにもエサをやっていた。その人はその人で、別の名前つけていたわけだが、曰く、チョビ(何という名前つけられていたかは忘れたが)はカワイイ顔して性格が悪い、そうである。他の猫のエサを独り占めして食べるのだそうだ。ウチでも、多少そういう傾向あったのだが、おそらく隣でたくさん食べてきているからウチではふくちゃんらに譲っていたのだろう。まったく、ネコかぶる、という言葉はあるが、まさにそれだな、と感心するやら、呆れるやら・・・・・・(-_-;)

   チョビもそうだったが、ふくちゃんは、何考えているかわからないネコだった。あまり人に媚びないのである。ウチに上がってくることも少なく、私にさえ、かなりの警戒心をもっていた。
 しかし、一度だけ(たった一度なのだが)ふくちゃんを抱いたことがある。もちろん無理やり抱いたことはあるのだが、普段は嫌がって逃げていたのである。そのときは、30分くらい抱いていたのである。
 その日、ふくちゃんは、震えていた。どうも体調が悪いようで、熱でもあったのであろう。普段だとウチに上がってくることはほとんどないのだが、その時は自分から上がってきた。そして、つらそうに私を見た。すごくつらそうに見えたので、そっと抱いてあげると、いつもなら嫌がって逃げるのに、身をゆだねて丸まった。寒かったようである。抵抗もしないので、そのままずっと抱いて温めてあげていると、30分くらいして元気になったようで、スルリと私の手から出た。逃げたというより、「もういいよ」という感じだった。そのあと、戸を開けてやると出ていったのであるが、出る前に私を見た。なにか「ありがとう」と言われたような気がした。
 気を許したわけではないが、イザというときには頼りにしてくれたようである。普段は何考えているかわからないふくちゃんが、このとき良くわかったような気がした。

ミルキー、キャンディ、ちゃしろ、シーザー

 しばらくすると、キジが、また子を生んだ。今度は、小さいうちからウチに来た。なんと6匹である。3回目(たぶん)の出産にして初めてキジネコが生まれた。キジとほとんど同じ柄のネコが2匹、茶と白のネコが3匹、ミケが1匹、そして典型的な日本ネコ(白以外のところはキジ柄なのだが)が1匹である。


いきなり厳しくなった生存競争


母親代わりをさせられるチョビ


 実は、最初5匹がゾロゾロとやって来て、チョビ達とエサを食べはじめた。一挙にネコが増えて、生存競争激しくなった(おそらく隣家でも)わけであるが、しばらくしてから、この日本ネコはやって来た。体が他のネコより小さかったところを見ると、エサを余り食べられなかったのかもしれないが、このネコ、とにかく「顔がイイ」のである。目のまわりにも黒くラインが入っていて、とってもりりしいのである。他のネコは、茶と白だから茶白、などといい加減な名前つけたのであるが(もう動物のお医者さんネタは尽きてた)、このネコには“シーザー”と名を付けた。それほど凛々しかったのである。


遅れてきたアイドル
シーザー


 キジネコ2匹は、双子の様に似ていて(まあ、双子みたいなものなのだが、ネコは多卵子受精ですからね)、とても仲がよかった。いつも寄り添っていた。ミルキーキャンディと、(また)安易に命名した。


チョビ、ふくちゃん、はなちゃんに混じって
ミルク飲むキャンディ
ミルキーの写真はないが、そっくりであった


 キジもウチでエサ食べていたので、このころウチにはネコが9匹いたことになる。ホームセンターで安いネコ缶とドライフードを買ってきて与えていたが、結構なくなるのがはやかった。なにせ、ネコ缶など“箱買い”したことあるくらいである。

   ある日、チョビとふくちゃんが来なくなった。キジの最初の子供のミケがいなくなったように突然であった。実は、チョビとふくちゃんはメスであり、まだ1歳にならないというのに出産していた(妊娠を知ったときは、未成年の我が娘が妊娠してしまったようなショックを受けました)。子ネコは連れてこなかったので、育たなかったのかもしれない。ただ、これで、この二人は“おとな”と認められたのであろう。キジもメスであるから、ナワバリから追い出したのではないかと、今では思っている。野良ネコどうし、仲良くやっていくわけにはいかないのである。
 ミルキーたちは、どんどん大きくなった。途中いなくなったネコもいて、ミルキー、キャンディ、ちゃしろ、シーザーが育っていた。チョビ達とは異なり、みな人懐っこく、ウチには上がるし、平気で人に抱かれていた。ミルキーとキャンディに比べて、ちゃしろとシーザーは体がすごく大きくなり、オスであることがわかった。人間と同じで、ちいさいころはメスの方が大きいのだが、途中でオスが追い越すようである。

 ある朝、私が仕事にいく途中、交通量の多い道で、茶と白のネコが車にひかれて死んでいた。背中の模様を見て、一瞬にして、ちゃしろであることが私にはわかった。ショックで、認めたくなくて、そのまま仕事に出たのだが、一日中気になってしょうがなかった。帰宅するときには心の準備が出来たので、花を買って帰った。妻に朝の事を話し(帰宅時には、誰かに片付けられてしまっていた)、花を備えて(タマの遺骨もあったので)冥福を祈った。とてもなついていただけにショックだった。体は大きかったが、まだ子供で、車の多い道の横断に慣れていなかったのであろう。仕事場に捨てられて1kmちょっとの道のりを帰ってきたキジのようには、まだ、いかなかったのであろう・・・・・
 一匹残ったオスのシーザーは、体は大きいものの美形で人なつこいので、道行く人の間のアイドルであった。通る人通る人、シーザーに声かけて撫でていくし、エサくれる人も結構いたようである。まあ、他のヤツラも似たり寄ったりの待遇受けていたようだが、私の目からみてもシーザーは別格だったようである。ただ、付近一帯で唯一見かけるオスである。キジがボスであること考えると、雌ネコ追い出す以上にオスがいるのはキジにとっては都合悪いだろう。いつか追い出すのだろうなあ・・・と思っていたら、案の定シーザーがいなくなった。妻は、カワイイから誰かに連れていかれたのだろう、と言った。そうかもしれないとも思うが、やはり野良ネコの習性なのではないかと思う。ナワバリ内は複数では仕切れないのである。

 

ミルキー VS キャンディ

 シーザーが去ってからしばらくして、キジがお産の失敗で亡くなった。ウチの回りには、ミルキーとキャンディというキジネコ2匹が残ったわけである。この2匹はメスであるが、チョビやふくちゃんのときの幼年妊娠のことがあったので隣家の人が獣医に連れていって避妊手術をしてあったので、これ以上増える可能性は無くなった。
 メス2匹という心配もあったが、もともとすごく仲のよい2匹(お互い毛繕いしたりしていた)であったし、避妊すると野性が損なわれてケンカしにくくなるという話もあったので、大丈夫だろうと思っていた。実際、キジが亡くなった後、2匹は仲良くウチの回りで暮らしていた。
 ところが、ある日、ミルキーがいなくなったのである。やはりだめだったか、とがっかりしたのだが、なんと買い物帰りに歩いていると、ウチのそばの空き地にいるではないか。段ボール箱の上に座っている。よくわからないまま、家に帰ったのだが、ミルキーは来ない。数日様子みても、やはり同じ場所にいる。どうやら、キャンディが追い出したが、近くでナワバリを確保したようである。
 それにしても、近くなので、ある日、買い物の帰りにミルキーに声をかけた。ミャアとすり寄ってきたので、そのままついてこいと言って家まで連れてきた。キャンディはいなかったので、エサをやったら、腹減っていたらしくガツガツと食べた。別にウチがイヤになって出ていったわけではなかったようである。
 しばらくくつろいでいたところ、キャンディが戻ってきた。ミルキーがビクッとしたと思ったら、キャンディが「シャーッ!」と叫び、ミルキーを追い出してしまった・・・・・ やはりキャンディが犯人だったのか・・・とこの時改めてネコの野性を思い知らされた。キジ亡き後、ウチのあたりのボスはキャンディが継いだようである。
 ミルキーは、どちらかというと気の弱いネコである。追い出されても、遠くで自立する事が出来ず、ウチの近くにとどまっていたのであろう。

 しばらくすると、ミルキーは、近くの本屋さんの飼い猫となっていた。レジの上とか、本棚の上をわが物顔で歩いていた。どうやら、空き地で座っていたミルキーを、ネコ好きの本屋さんが拾っていったのであろう。本屋でもアイドルしていたので、それはそれでよいな、と思い、ときどき様子見には行くものの、声はかけない様にしていた。またウチまでついてきても困るからである。
 ある日、本屋に、ネコを探している、という張り紙がしてあった。ミルキーがいなくなったようである。あんなに可愛がられていたのに・・・・これはひょっとしたら、誰かに連れていかれたかな、と思った。深夜までやっている本屋だったし、ミルキーも人に対して無防備だったから、抱かれてそのまま、ということはありうる。まあ、連れていくくらいだから可愛がってくれるだろう。ミルキーの幸せを、ひたすら祈った。

 さて、キャンディである。すっかりボスと化したコイツは、なんとなくキジに似てきた。まだ老獪さはないものの、結構賢く、人に媚びる術を心得ていた。ウチだけではなく、隣や道行く人にも、ゴロニャン、して可愛がられていた。そのまましばらくは楽しい日々が続いたのであるが・・・・
 事情があって、私が引っ越すことになった。キャンディをどうしよう、と考えたが、連れていくにはノラである。隣の方もエサやっているし、道行く人もエサくれていたので、まあ食いっぱぐれることはないだろうと思い、置いていくことにした。唯一心配だったのは、キャンディはウチに居着いていたことである。家に上がってもいたし、なにより庭を我が物顔で占有していた。私の後に来る人がネコ嫌いだったらどうしよう・・・と心配だったのである。
 しかし、心配してもしょうがないし、拒絶されれば理解するだけの知恵はあるだろうと思い、キャンディには挨拶無しに引っ越した。別れを言おうとしたら泣いてしまいそうで・・・・キャンディがかわいそうというより私自身が耐えられそうもなく、コッソリと引っ越したというのが実際のところである。

 その後、何度か様子を見に行った。キャンディが道行く人に撫でてもらっているところを見ることができた。家を追い出されたかどうかはわからなかったが、楽しい生活を続けているようでホッとした。私もネコ離れしなくては、とだんだん見に行かなくなり、もう6年以上経つ。ノラネコの寿命はそう長くはない。キャンディも天寿を全うしたことであろう。幸せなネコ生をおくれたことと信じている。

 今住んでいるところには、ネコが結構多い。が、割とそっけなくて、庭には来るのであるが近寄ると逃げるものばかりである。隣家がネコ嫌いなので、あまり可愛がれないと遠慮していたのであるが、ある日、チョット皮膚病持ちだがカワイイネコがすがるような鳴き声をあげていた。どうやら流れネコのようである。あんまり可哀想なので、エサをあげたら、ウチに居着いた。マズイかな、と思ったが追い出すわけにもいかないので最低限のエサだけあげていたところ、ある日いなくなった。どうも、地回りのネコに追い出されたようである。私にはなつかないクセに、ウチをナワバリにはしているようである。ノラネコの世界もキビシイものである。

 というわけで、今はネコがいない生活を続けている。でも、ネコみると、つい声かけてしまう日々である。いつかきっと、今度は家の中でネコを飼うぞ、と思いつつ暮らしている今日この頃である。