1.タマ

 黒白で、鼻の下にヒゲのように黒い毛がある小猫が職場の駐車場にいた。猫を沢山育てた今ならわかるが、ちょうど生後一ヶ月位だったように思う。ミャーミャーと人懐こく寄ってくる猫を思わず取り上げ、職場に連れていき、牛乳を与えた。体に登ってじゃれてくるので、しばらく遊んだ。  実は、職場の駐車場に小猫がいたのは、これがはじめてではない。捨て猫なのか、野良猫なのか、割と頻繁に小猫を見かけていたのである。しかし、抱き上げたのは、このときがはじめてだった。何か運命的なものを感じたのかもしれない。
 あっという間になついて離れなくなってしまった小猫を、家に連れて帰り飼うことにした。一軒家に住んでいたし、猫嫌いは同居していなかったので、飼うこと自体に問題はなかったのである。段ボール箱に入れて車で連れて帰るとき、暴れて車の中を走りまわり、大変だった。怖がっているわけでなく、単にはしゃいでいたようである。元気で能天気な猫である。


猫小屋の上のタマ
 家の中で飼うのは抵抗があったので、庭に段ボール箱を置き、猫小屋、とした。幸いにも、それが“我が家”であることはすぐ理解したようである。家に上げないわけではなく、エサと寝るのは外、というだけであるから、ネコにしてみれば、自由でよかったのかもしれない。
 さて、名前である。どういう理由だったか覚えていないが「タマ」にあっさりと決まった。ネコというとタマという刷り込みは、サザエさんからきたものでは無いと思うが・・・  まあ、とにかく、本人も名前呼ばれると分かるようだし、よしとした。実は、このとき、タマはメスだと思っていた(後にオスであることが判明)。メスなのに何故、タマ、というのは、その時は何の疑問もなかった。とにかく「ネコ=タマ」であったのだ。おそらく、犬ならポチ、であったろう。

 飼い始めてから数週間後だろうか、私は一週間ほど旅行に出かけた。エサと水は、知人に頼んでおいた。外で飼っていても、家に居着いていたので大丈夫とは思ったが、もし、帰ってきていなかったら、あきらめようと思っていた。ネコなのだから、どこかでどうにか暮らしていけるだろうと。

 帰ってきても、タマは家にいなかった。予想はしていたもののがっかりしていたところ(とはいえ名前は呼び続けていたのだが)、タマが戻ってきた。何かヨソヨソしい。やはり一週間もほっといたので怒っているのだろうか。しかし、どうやら覚えていたようで、なついてきた。エサは食べていたはずなのであるが、痩せていた。野良猫にでもとられていたのかもしれない。まあよい、今後は本人の前でエサ出してあげられるから。
 エサをドライフードだけでなく、ネコ缶も混ぜるようになったら、タマは急に大きくなりだした。やはり栄養が足りなかったようである。あとで分かったが、雄ネコというのは、始めは小さいのだがあるときから急に大きくなるもののようである。


私の上でカメラ目線のタマ


 しばらく一緒に暮らすと、タマの性格が分かってきた。コイツは、ひとなつこいのであるが、それほど賢くはない(-_-;)。まあ、家中で一番涼しい場所見つけてごろ寝したり、スキをみて他人の食べ物をくすねる、というネコ知恵はあるのであるが、せいぜいそこまでである。むしろ、少しヒステリー気質をもっていて、気が立ってくると、私にすら襲いかかってくる。文字通り「キバをむいてくる」のである。背中の毛を逆立てて「シャー」とうなり、飛びかかってくる。ゆびに噛みつくのであるが、ネコのしつけの本によると、噛まれたら、たたくのではなく「噛んではいけない」ことを教えないといけないと書いてあったので、噛まれたまま諭した(笑)のであるが、無駄だったようだ。本気で噛んでいないとはいっても「甘がみ」ではない。結構痛かったのであるが、結局、この癖は直らなかった。もっとも、いつもそうなのではなく、時々、“発作のように”なるのであったが。

 すくすくと大きくなり、どちらかというと“デブ猫”となりつつあったある日、悲劇が起きた。

 休日の朝、ふと、窓から庭にタマを探したとき、家のそばにタマがうずくまっていた。ビックリして窓開けて、家の中に入れたのであるが、様子がかなり変である。ケガしているわけではなく、息が荒いのである。ゼーゼーいっているのである。ぐったりもしていた。慌てて、評判のよい獣医に電話するが、出張中でいない。戻ってくるとはいうが、時間が分からない・・・  タマをタオルでくるんで温めていたのであるが、どうにもよくならないので、決して評判はよくないのであるが、24時間営業している獣医に電話して、診察してもらった。レントゲンとり、診察して・・・ どうも肺がおかしいらしい。点滴したが、「どうしようもない」の一言・・・・ とにかくどうにかして欲しくて入院させた。
 翌日、気になってしょうがない。しばらくして、最初に電話した獣医が戻ってきたことがわかり、いても立ってもいられなくなった。「どうしようもない」というところに置いておいてもしょうがない。入院費などの返却はしない、と言われたが、半分ケンカ腰にタマを退院させ、最初の予定の獣医のところに連れていった。
 レントゲンを撮り、「自然気胸ですね。ちょっと長くかかりそうですね」といわれた。 「直るんですか!」と思わず言ってしまった。点滴をして、通院することとして、家にタマをつれて帰った。この日からタマは、夜も家の中で暮らすことになった。ホームセンターに行き、ネコのトイレとネコ砂を買った。今まで庭でトイレしていたので、急にできるかどうか不安だったが、さすがに外にでる元気は無いようで、教えもしないのに縁側に置いたトイレで用を足した。この時ばかりは、賢い!、と感心した。

 獣医に通院して点滴をすることを続けるうち、だんだんタマは回復していった。見た目は普通に戻っていたが、なにせ肺に穴が空いていたのである、“普通のネコ”生活は無理である。年末に東京に里帰りする際、エサだけやって、外の生活はさせられず、連れていった。飛行機に乗せたのである。ペットを飛行機に乗せるというのは、客室に同室するわけではない。手荷物のように“預ける”のだ。タマは生きているのだ、ケージにいれて預ける時、一体どんなところに乗せられるのか非常に心配だった。上空を飛ぶのである。客室は気圧を保っているが、他のところは低気圧である。気胸あがりのタマにはこたえるのではないだろうか・・・・・
 結局、心配は無駄に終わった。東京について受け取ったケージの中で、タマはすやすやと眠っていた。初めて乗った飛行機で興奮でもしていないかと心配していたのに(-_-;) 空港まで迎えに来ていた父の車の中でもおとなしくしていて、家についてケージから出しても、特に慌てることなく家中をくまなく探索していた。
 飼い主が一緒だから、安心なのだろう。家の中だから、他のネコもいないし・・・  それにしても、正月の間、タマは文字通り“こたつネコ”であった。ゴロゴロと眠ってばかりいた。人のいるところであまりにも無防備に寝るので、ネコ嫌いの母でさえ呆れたくらいである。かわいがることはないにしても、あまりにも無防備・無害なタマに、拍子抜けしたようである。母にとってネコは、食べ物盗む、ゴミ箱荒らす、ヤツらであって“追い払うべきもの”だったのだ。追い払う必要もない生き物である、というのは新しい発見だったようだ。父は、実はネコ好きで、ネコ嫌いの母の手前、(私が子供の時は)飼うことには反対していたのだが、この時は文字通り“ネコっかわいがり”していた。タマは、天国のような正月を過ごしたのである。


こたつで爆睡

飼い主共々、こたつ好き


 東京からの飛行機の旅も無事過ごし、家に戻り、獣医通いを続け、タマは回復していった。もうほとんど、普通の生活で大丈夫そうだ、ということで、ワクチンを打った。一応、安静にということで、外にだすのを少し控えていたら、ストレスがたまったのだろうか、例のヒステリーの発作を起こした。あまりにも、暴れるので、窓を開けて外に出した・・・
 いつもなら、しばらくすると戻ってきたのに、その夜は戻ってこなかった。後悔した。だいぶよくなったとはいえ、気胸をやっているのである。人間なら自覚あるが、タマには自覚がない、普通通りに動こうとするのである。心配ではあったが、家のまわりにはいないので、しょうがなくその夜は寝た。
 翌朝、家の周りを見た妻が悲鳴をあげた。私はパジャマのまま家を飛び出していった。予感があったわけではない。しかし、悲鳴ですべてを理解して、飛び出していき、家の裏で倒れているタマを抱き上げ、家に連れ帰った。
 硬直したまま、であった。屋根から足を滑らせて落ちたのであろうか・・・ 通常ならまだしも、病み上がりで・・ 涙が止まらなかった、いくら叫んでも返事はなかった・・・
 段ボールの箱に、タマが好きだった毛布をいれ、タマをくるんだ・・・ どうしても、タマが死んだのが信じられない。しばらくすると、ムクッと起き上がってくるのではないか・・・ ありえないということはわかっているのだが、そうあって欲しいという願望を消すことはできなかった。

 しばらくして、気持ちは落ち着いてきたが、庭に穴掘って埋める、なんてことは出来ない。電話帳でペット霊園を探した。火葬にしてくれるところがあったので、翌日の予約を取った。ちゃんとお経もあげてくれるそうである。心の整理をして、その晩は寝た。
 翌朝、やはりタマは生き返っていなかった。実は、何度も夢を見たのだ。分かっているつもりでも、やはり心の底で納得出来ないものがあるのだろう。予約の時間までは間があるので、一度仕事に出て、中抜けすることとした。
 仕事を抜けて、家に帰り、タマを入れた箱を車に載せ、ペット霊園へ行ったが、炉があかないそうで、しばらくまってくれと言われた。近くの公園の駐車場に車を停めて時間を潰したが、涙が止まらなかった。生きているように、つやのあるタマの体をなでて、別れを惜しんだ。
 1時間ほどして、ペット霊園へ行き、火葬にしてもらった。好きだった毛布も一緒に焼いてもらった。涙はこらえて、真っ赤な目でいたのだが、焼きはじめて、また涙が止まらなくなった。霊園の方は、見慣れているらしく、黙っていてくれたが・・・
 しばらくして、火葬が終わった。まだ小猫なので、骨がもろく、小さく砕けてしまっているそうである。それでも、焼きあとから骨を拾い、骨壷に入れた。骨壷はちゃんとした袋に入れてもらい受け取った。霊園には入れずに、家にもって帰り、一緒に過ごすことに決めていたのだ。

   家に帰り、骨壷を置き、仕事に戻った。おそらく目は真っ赤だったろう。 そのまま、仕事を終え、家に帰った。
タマの死は、受け止めたものの、家には、私と妻だけの寂しい空間が残った・・・・